正しい歴史認識なんて存在しない

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 こちらの記事に対するブコメでの反応は批判的なように見えるのですが、個人的には名称の変更程度であればそこまで大きな問題ではないと思っています。

 聖徳太子にせよ、厩戸皇子にせよ、古代のこの国においてそれに該当する人物が存在していたという点では同じです。また鎖国についても江戸幕府が海外渡航や貿易に制限をかけていたことは事実ですから、鎖国という言葉の定義をアップデートするか、海禁政策などの用語に置き換えるかのどちらかが無難なところでしょう。モンゴルの襲来(元寇)と元寇モンゴル帝国の襲来)に至ってはほぼ道義ですからどちらを選んでも問題ないと思います(個人的には帝国と付いてる方がなんとなく強そうなので好みです)。

 引っかかるのは大和政権→大和朝廷への変更でしょうか。なんとなく右側の方々の影響が滲み出ている様に感じてしまいます。ただ、これも教える対象が小中学生であるということを考えると、「政権と朝廷の違いって何?」と問われた時の対処で現場の先生が苦労しそうだなぁという気はします。

 例えば聖徳太子の様々な逸話を全て事実としたり、鎖国を海外の悪影響から日本を守るのに有効な先進的な政策と評価したり、元寇を撃退できたのは日本人が人種的に優れていた上に神風が吹くくらい神様の加護を受けた国だからだと主張してたらアウトだと思います。

 しかし、あくまで呼称や用語の変更のみに留まるのであれば私にとっては許容範囲内です。

 

 今回の件でもそうなのですが、こういった歴史に関わる議論においてやっかいなのは右派、左派といったイデオロギーの有無よりも自分の歴史認識を「正しい」と思っている人達なのではないか? と思うのです。

 「真実の歴史に背を向けている」と批判する人は「では真実の歴史とは何ですか?」と問われて淀みなく答える事ができるでしょうか? スラスラと「真実の歴史」を語る方を目にしたならば、私は失礼ながらそういった方を「狂信者」か「詐欺師」のどちらかだと認識します。何百年、何千年も昔の話を見てきたかのように語り「これが真実の歴史です」と言う人は聞く人を騙そうとしているか、自らの妄想に捕われているかのどちらかだと思うからです。たとえそれが優れた研究者であったとしてもです。検証を重ねに重ねて現状において限りなく真実に近いと思われる確証性の高い事実ではあっても、後にも先にも変更の余地のない真実であるとは言えないからです。

 

 ここまで長々と書いてようやくタイトルの内容に行き着いたのですが、私は「正しい歴史認識」なんてものは存在しないと思っています。「正しい歴史認識」の担保たり得る「真実の歴史」が、少なくとも現時点では存在しえないからです。あるのは個々人が持つ「許容できる歴史認識」とそれらを摺り合わせることで作り上げる「共有できる歴史認識」であり、教科書などに採用されるべきなのは「共有できる歴史認識」だと考えています。この「共有できる歴史認識」を太く強固な物へ育てていく事が歴史教育の最大の目的であると私は思うのです。

 そうである以上、過去に「共有されていた歴史認識」や、現在において「共有されている歴史認識」を無視してこれからの「共有できる歴史認識」を作り上げていく事は困難でしょう。そういった意味でも「聖徳太子」や「鎖国」といった「共有されていた歴史認識」や「共有されている歴史認識」の要素を持つ用語を「共有できる歴史認識」に取り入れていく事も必要なのだと思います。

 

 なんだかちょっぴりヘルシングの少佐のセリフみたいな内容になってしまいましたが、多分これは「歴史認識」というところを「価値観」に置き換えることも可能だと思います(そちらの方が妥当だったかも)。そう考えると他の話題にも適用できることなのかもしれません。色々と応用ができそうです。